千葉地方裁判所 昭和41年(行ウ)4号 判決 1968年5月20日
原告
河野栄子
右訴訟代理人
生井重男
同
田中厳
被告
茂原市
右代表者市長
吉野正一
右代理人
堀家嘉郎
外二名
主文
原告が被告の職員であることを確認する。
訴訟費用は被告の負担とする。
事 実<省略>
理由
一原告が昭和三七年六月一日市長から茂原市雇に任命されたこと、被告が昭和三七年度以降新規採用の職員に対し、職場内結婚をした場合、夫婦が共に勤務することを禁止する趣旨で市長宛に「私は今回茂原市役所職員として採用していただいたが、今後庁内職員と結婚する場合は、相手方と協議の上、いずれか一人退職することに異議がない。」旨の誓約書を提出させることとし、原告も採用されるに際した右同様の誓約書を提出したこと、原告が昭和三九年四月二八日被告職員河野浩明と結婚したこと、市長が原告に対し昭和三九年六月二七退職の発令をしたことは当事者間に争いがない。
二そこで、右退職発令までの経緯を調べると、<証拠>を総合すれば、次の事実が認められる。原告の夫河野浩明は昭和三九年五月一八日午後四時半頃市役所内で総務課長林孝衛から、原告提出の誓約書どおり夫婦のどちらかが退職するよう勧告され、翌一九日午前九時三〇分頃市長室へ赴き、市長松本紋四郎に対して現状ではどちらが退職しても生活に窮するから、他に職が見付かるまで待つてほしいと申し出たが、容れられず退職を要請された。そして浩明は同年六月一日林から再度誓約書をたてにとつて退職を要求され、職がみつかるまで待つてほしい、と答えたのに対し、千葉市所在の千葉県市町村職員共済組合事務局へ就職を世話するから、と言われたが、これを断わつた。かくするうち、同月二三日頃上司の丸衛生課長から退職承諾書を手渡され、捺印するよう求められたが納得せず、同人の発意により市助役と話し合おうと考え、同人と共に助役室で前記林(当時助役)に面接し、承諾書に判を押すわけにはいかないと強調したが、諒承されず、明日提出するようにと言われて退出し、進退に窮し同日職員組合の幹部や福祉相談員に誓約書の効力について尋ねたが、明確な答を得られず、親戚知人の間には誓約書を提出した以上退職しなければならないだろうとの意見が強かつたので、原告らは退職しないわけにはいかないと考えたが、さらに交渉するため翌二四日市長に面接したが、林助役に連れ出され、同人に対し、退職するわけにはいかないと述べたところ、同人が訴訟も辞さない強硬な態度だつたので、これ以上被告の要求を拒否すれば、退職金も支給されないことになりはしないかと考え、原告と協議の結果、茂原市から千葉市の前記職員共済組合事務局へは通勤に二時間位要するところから、夫の浩明が右組合へ転職し、原告が市役所に残ることに決め、その旨林に申出で、同日浩明の依願退職辞令が出された。しかし浩明の父親から浩明が市役所に残り、原告が退職する方がよいと忠告されたので、原告らは再度協議の末、右忠告に従うこととし、同月二六日夜親戚の古川清を介添にして被告にその旨を申し出で、被告はこれを容れ、翌二七日浩明に対する退職の辞令を撤回して、原告に対する退職を発令し、浩明は同年七月一日頃原告名義の同年六月二三日付退職承諾書を作成し市長に提出した。
以上の事実が認められ、右認定に反する<証拠>はたやすく信用することができず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。
三原告は、原告に対する退職の発令は、地方公務員法第二八条第一項の免職処分であると主張するが、右認定の如く、被告は原告が退職勧奨に応じたものとして、依願退職の処置をとつたものであるから、右法条を適用してなされた行政処分でないことが明らかである。
つぎに、原告は、公務員の依願退職は公法上の契約である、と主張するが、当裁判所は辞職の申出に対する任命権者の承認は行政行為(依願免職処分)と解する。しかしながら、依願免職は当該公務員の同意に基づく行政行為であり、かつ公務員がその意により退職する場合であるから、その同意は、免職処分が有効に成立するための絶対的要件というべきである。よつて、以下原告に対する依願免職処分が無効であるとする原告の主張について検討する。
(一) 前認定の事実によれば、原告名義の退職承諾書は、原告の退職発令後に浩明が作成したものであるから、この書面の提出をもつて原告の同意とすることはできないが、原告は、浩明に対する退職の発令がなされた後に、浩明と相談のうえ、被告に対し、浩明が復職し、代りに原告が退職する旨申出で、右申出でにより市長が浩明に対する免職処分を取り消し、原告を依願免職処分にしたものであるから、原告の承諾なくしてなされた処分であるとの原告の主張は採用できない。
(二) (イ)、(証拠)によれば、茂原市役所の事務室は間仕切りのない大部屋で、多数職員が各課に分属して一室で執務していた関係上職場結婚の共稼ぎ夫婦が増えるにつれ、事務室の空気が、同人らによつて直接、間接に影響を受けるようになり、市長ら管理者の眼には、それが職場秩序の弛緩、能率低下の原因をなしていると映じる一方、一部市民の間にも、共稼ぎ夫婦に対する批判の声が出るようになつた。そこで被告は、昭和三七年共稼ぎをなくす方針を樹て、同年度の新規採用者から実施することにし、同年度以降の新規採用者に対し前記内容の誓約書を提出させ、原告は右制度実施の初年度採用者として誓約書を提出したのであるが、男女から誓約書を出させたのは、昭和三八年度以降であつて、昭和三七年には、女子職員だけに提出させた。その結果原告と同時に採用された男子職員佐藤修一は職場内結婚をしたが、退職勧奨を受けず、またそれ以後被告は他の共稼ぎ夫婦に対しても退職の懇談をしたことがあつたが、微温的で、強硬に退職を要求したのは原告ら夫婦に対してだけであつた。そして原告の退職当時一二組の共稼ぎ夫婦がいたが、そのうち退職したのは女子三人で、いずれも夫が課長の地位にあつた者である。
以上の事実が認められる。
(ロ) 被告の実施した結婚退職制は、庁内の秩序維持、能率低下防止のため、夫婦のいずれか一方を退職させるというものであるから、性別を理由とする差別待遇とはいえないが、昭和三七年、原告ら女子の新規採用者のみから誓約書を徴したことは、明らかに不公平な処置であつて、地方公務員法第一三条の平等取扱の原則に違反する。また、右結婚退職制は、職場内結婚をした夫婦の一方を強制的に退職させるものではなく、退職を勧告して辞職させる趣旨のものではあるが、かかる制度の下において、前記の如き誓約書を徴された職員にとつて、それは、職場内結婚即退職の重圧となり、事実上配偶者の選択、結婚の時期等に関する自由の制約となる。したがつて、職場内結婚をした者に対し、誓約書を提出したことを理由に辞職を迫ることは、結婚の自由の制限になるといわざるをえない。ところで、結婚の自由は憲法により国が国民に対して保障した基本的人権の一つであり、地方公共団体である被告は、憲法の保障した人権を尊重する義務があり、合理的な理由なく制限することは法律上禁止されているものと解すべく、この理は特別権力関係にある公務員に対する関係においても異らないことは、地方公務員第一三条の規定からも言い得るところである。
被告は、人事管理の必要上結婚退職制を実施したのである、と主張し、共稼ぎ夫婦が同じ部屋で勤務することにより、執務上若干好ましからざる影響を及ぼしたことは、前認定の事実から推測し得られるが、それは、職場環境の整備、管理者の指導監督の強化によつて改善し得る程度のものであつて、夫婦の一方をやめさせなければ是正し得ないものではないことが、<証拠>からも窺えるのである。ところが被告が、かかる改善の手段方法を講じたことを認めるべき証拠はなく、他に被告の結婚退職制を是認し得る合理的理由は発見できず、また原告ら夫婦が他の共稼ぎ夫婦より特に職場の秩序を乱し、あるいは勤務成績が劣つていたことを認めるに足る証拠もない。それにも拘らず、被告が幾組かの共稼ぎ夫婦のうち、原告ら夫婦に対してだけ再三強硬に退職を要求して辞職を承諾させ、他の共稼ぎの職員に対しては、懇談的に退職を話しかけた程度であること、および原告以外の退職者三人はいずれも課長の妻である(同人らは夫が課長であるところから、被告の意を汲んで自発的に辞職したものであることが窺われる。)ことにかんがみれば、被告の原告に対する退職勧告は、原告が前記誓約書を提出したことを唯一の理由としてなしたものであることが明らかであり、本件免職処分は結婚の自由を侵すものというべきである。
(ハ) 原告の夫浩明はもちろん、原告も前記誓約に拘束されるものではなく、被告に対し辞職すべき義務のないことは、被告も認めるところであつて、多言を要しない。
ところで、原告が退職を承諾したのは、前述の如く、誓約書を提出した以上、退職要求に応じなければならないものと考えたからであつて、(二)に認定の事実と<証拠>を総合すれば、原告ら夫婦は、誓約書が同人らを拘束する効力を有しないことを知つていたならば、退職を承諾しなかつたことが認められる。そして、原告らが右誓約により拘束されるものと信じたことは、退職承諾の意思表示の動機の錯誤ではあるが、被告は原告が誓約書を提出したことをたてにとつて退職を迫り、原告は右の如く誤信したためこれに応じたのであるから、右錯誤は右意思表示の内容をなすものというべく、その態様からみて、それは要素の錯誤に当ると解するを相当とし、<証拠>によれば、被告は誓約書が有効なものでないことを知りながら、退職勧告をしたことが認められるので、右承諾は無効であるといわざるをえない。
(三) 右認定の如くであつて、本件依願免職処分は瑕疵ある行政行為であることが明らかである。
そして、一般に相手方の同意を要件とする行政処分が、無効な同意に基づいてなされた故をもつて、直ちに無効となるものではないとしても、依願免職処分の法律上の性質は、辞職の申出でに対する承認であること、被告は原告が採用に際してなした誓約が無効であることを知りながら、誓約書を提出したことを理由に原告ら夫婦に対し退職を迫り、原告がやむなくこれを承諾するや直ちに退職の発令をし、後日原告の夫浩明から原告名義の退職承諾書を、発令前の日付で作成させて形式を整えたこと、原告ら夫婦は右誓約により拘束されるものと信じて退職を承諾したものであること、被告は昭和三七年度には、原告ら女子採用者だけから誓約書を提出させ、原告ら夫婦に対し、それを理由に退職を勧告しながら、原告と同時に採用した男子職員からは誓約書を徴さず、職場内結婚をしても退職勧告をしていないこと、および被告の結婚退職制には合理的な理由がなく、職員が職場内結婚をしたことの故をもつて退職を要求し、辞職させることは、国が国民に対して保障し、被告が地方公共団体として尊重しなければならない結婚の自由を制限することになり、地方公務員法の規定する平等取扱の原則にも違背するものであることなどを合せ考えれば、右瑕疵は重大かつ明白であるというべく、本件依願免職処分は無効であるといわざるをえない。
尤も、原告が本訴を提起したのは、退職発令から二年余りを経過した後であるが、それは原告ら夫婦の、お役所は間違つたことをしないものであるとの素朴な潜在意識と、誓約書を提出した以上、約束は守らなければいけないものとの考えから、本件処分の効力など検討することなく、最下級の原告がやめさせられて、他の共稼ぎ夫婦が引続き在職することに矛盾と不満を感じながら月日を送るうち、他県で起きた女子職員の解雇問題が差別待遇として取上げられ、新聞に報道されたのを知り、わが身にひき較べ、本件原告代理人に相談して訴訟の提起に及んだものであることが、<証拠>によつて認められるので、右事実は本件処分の瑕疵の明白性を認定する妨げとするに足りない。
四以上説示の如く、本件依願免職処分は効力を生ぜず、原告は依然として被告職員たる身分を有するから、原告の請求を正当として認容し、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。(田中隆 渡辺昭 片岡安夫)